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環境ジャーナリスト 講演講師 富永秀一 ブログ

なぜ肉食をやめたのか

 年賀状を受け取った方から、なぜ肉食をやめたのかについてお問い合わせがあり、お返事するに当たって、考えをまとめましたので、こちらにも載せておきます。

 私の場合は、もともと、環境問題から、肉食をやめた方がいいと思っていましたが、踏み切れていませんでした。しかし、研修船とうかい号に、一緒に講師として乗船されていた北川八郎先生のお話をお聞きしたのをきっかけにやめました。

 環境面でいうと、肉を作るためには穀物がたくさんいるという問題があります。

牛肉1kgを得るために穀物が11kg、豚肉で7kg、鶏肉で3kg必要と言われます。

また、水、エネルギーも大量に使います。

 肉食をやめれば、質の差はあるにしても量的には、より多くの人に食料を行き渡らせることができますし、水、エネルギーの消費量も抑えられます。

 北川先生のお話としては、まず、高等な生物の肉は食べるべきではないという倫理的側面があります。

 北川先生が住んでおられる近くには牛を飼っているところがたくさんあるのですが、草原に連れて行くトラックが来ると喜んで乗るが、食肉処理場に連れて行くトラックが近づくと、みんな涙を流してウォーンウォーンと泣くそうです。

 そのトラックで殺されるわけではないので、血の臭いがする訳ではないでしょうが、そのトラックに乗った仲間は誰も帰ってこなかったということで、恐怖を感じるのでしょう。

 そういう事が理解できる高等な生物を食べるのはやめようと言うことです。

 それと、プラナリアという原始的な生物を使った実験で、光を当てるとえさがもらえる事を記憶させ、光を当てるだけで集まるようになったプラナリアをすりつぶし、まったく教育を受けていないプラナリアのえさに混ぜて食べさせると、光を当てるだけで集まるようになったという報告があります。

 つまり、肉を食べると記憶の伝達があるということになり、原始的な生物と人間を同列にはできないにしても、肉を食べると、その動物が感じた、殺される瞬間の恐怖や悲しみの記憶まで引き継いでしまう可能性があるという考え方です。

 この話について追加リサーチしてみると、プラナリアの実験には賛否両論あるようで、同じようにやって再現できなかった例もあるようです。誰が同じようにやっても再現できなければ、科学として立証されたことにならないのですが、他に、ラットの脳をすりつぶして他のラットに食べさせても記憶の伝達があったという報告もあります。この部分は、あまり深みに入らない方が良いかなと思っています。

 あと北川先生は、そもそも日本人は、あまり肉は食べず、穀物中心の食生活だったので、肉をたくさん食べる事は身体的に適しておらず、肥満しやすくなるとか、成人病になりやすくなるという健康面についてもお話されています。

 私の場合、肉を食べなくなると力が出なくなるのではないかといった心配があったのですが、とうかい号に乗っている間、肉を食べなくても何ともなく、下船後も問題が起きたらやめようと思っていたものの、快調そのものなので続けています。

 ちなみに、今日(昨日)、久しぶりにボウリングに行きましたが、肉断ち前と変わらず、15ポンドのボールを投げましたし、145点出ました。

スクワットだって100回できます。

 また、焼き肉とか、焼き鳥、ハンバーガーとか、食べたいのに我慢するという状態になるかなと思っていたのですが、意外と今は、食べ物だと考えず、欲しくなくなっています。

どちらかというと、体が拒否する感じです。

 肉が混じった料理やスープを出された時は、注意深く取り除くのですが、肉の味が残っていると、胃がむかむかして気持ち悪くなります。気のせいかなとも思うのですが、数時間は不快な感じが残ります。

 私の場合、魚は食べるので、その程度の軽い肉断ちなら、料理のバリエーションも十分ありますし、多くの人ができるのではないかと思います。