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環境ジャーナリスト 講演講師 富永秀一 ブログ

会派視察 会津若松市議会 仙台市 南相馬市

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  • 会派の視察で東北に来ています。最初は会津若松市でした。 庁舎は昭和12年から使われているという歴史ある建物でした。 議長席の後ろには神棚が。今は使われておらず、お札も入っていないそうです。 まだ速記で記録が取られていますが、速記者が減って、新潟から来てもらっているそうです。続く pic.twitter.com/lwTpkw5DnC posted at 09:00:16
  • 常に議会改革度トップクラスの会津若松市議会に伺って学びました。 議会制度検討委員会に公募の市民委員や学識経験者が入っていたり、市内15会場で年2回の市民との意見交換会を開催したりと、市民、外部の声を常に聞く形になっていること、マネジメントの視点が随所に入っていることが印象的でした。 pic.twitter.com/9QY4b9YslP posted at 09:15:07
  • 会派視察の2日目最初は仙台市で、間もなく七夕まつりを迎えることから、市役所に入ると目の前に大きな七夕飾りが。視察のテーマは、下水道のアセットマネジメント。 標準耐用年数50年の所、管の種類によって目標耐用年数を設けて管理することで更新費用が圧縮、平準化できることなどを学びました。 pic.twitter.com/RleQuk6HZm posted at 09:30:20
  • 会派視察2日目の2カ所目は福島県南相馬市でした。原子力防災車で送り迎えして下さいました。衛星電話が備えられています。 視察テーマは災害時における議会対応と、原発事故に係る復興とまちづくりでした。 線量は下がっても津波被災農地が半分しか復旧しておらず収量が増えない現状などを伺いました。 pic.twitter.com/0ml4YMopsf posted at 09:45:06
  • 会派視察3日目は、南相馬市内を案内して頂きました。 まずは、防災備蓄倉庫。9000人、3日分の食料、水、生活物資が確保されています。 駐車場の一角には、東日本大震災で亡くなった消防団員の皆さんの慰霊碑がありました。続く pic.twitter.com/nN3fUozprY posted at 14:48:01
  • 続き2 備蓄倉庫の隣は、あってはなりませんが、原子力災害時の拠点となる南相馬オフサイトセンター。車中からで全景は撮れませんでしたが、厚さ25cmの壁でおおわれた建物で、裏にはヘリポートもありました。 南相馬市立総合病院の屋上にもヘリポート。続く pic.twitter.com/BYUrrbF5CL posted at 15:17:33
  • 続き3 南相馬市消防・防災センター。展示館ともなっていて、たまたま愛知県ご出身の方に説明して頂きました。時系列で並べられた出来事を見ていると、震災と原発事故で眠れなかった緊張の日々が甦ります。 ポールの青い所が、南相馬市に近い港で観測された津波の高さ9.3m。遡上高は倍以上の20.8m。続く pic.twitter.com/dw5pObbGdi posted at 15:33:09
  • 続き4 南相馬市に全国各地から届いた寄せ書きの数々。これでも展示できているのは1割程度とのこと。 沿岸部には、年内に稼働予定という出力6万9500kWの太陽光発電所。他にはロボットのテストフィールドが建設中。でも沿岸部で活用の動きが始まっているのはごく一部。延々と何もない状態です。続く pic.twitter.com/ipbXOVRt1s posted at 16:13:51
  • 続き5 このあたりには60戸ほどの集落があったそうですが、津波で流され、何もありません。 震災前水田が広がっていた場所も平原のまま。昨日伺った、津波被災農地が半分しか復旧していないという現実を目の当たりにしました。 津波の先端は海岸から3km近くのJR小高駅前の通りまで達したそうです。続く pic.twitter.com/xTqM796FNK posted at 16:33:01
  • 続き6 常磐線は2年前に小高駅まで復旧。丁度列車が着き、高校生達が降りてきました。 駅前の放射線量は0.123マイクロシーベルト。平常値です。 道の駅南相馬の隣には仮設住宅。まだ避難生活が続いている人たちもいます。 震災・原発事故の爪痕の深さとともに、日常を取り戻す努力も感じました。 pic.twitter.com/6IRq4EnwMo posted at 16:50:03