ドイツ取材
3月5日から10日まで、テレビ愛知の「激論!コロシアム」の取材でドイツに行ってきましたので、その時撮った写真を元に少し記録として残して起きます。
ドイツに行くというと結構大変なイメージがあったのですが、最近はeチケットというシステムが進んでいて、何と出発の4時間前とか、さらには2時間前とかでもチケットが買えてしまうんですね。
しかも、時間帯を選ばなければ片道10万円以下で買えます。
今回、出発時点で、スケジュール調整中の取材先があり、日程が確定できなかったので片道だけ買って出発しました。
向こうに行ってから帰りのチケットを買った場合でも、eチケットのスマホ画面を空港のカウンターで見せれば良いので、旅行会社に発券してもらうような手間は一切無し。
今回、往きは北京経由でアブダビで乗り継ぎ、ベルリンに向かいました。
乗り継いだアブダビの空港
飛行機はエティハド航空。完全な満席で最後尾の席でした。北京までは周囲の中国人客がうるさかったのですが、夜の出発だったので極力寝てやりすごしました。
シートや食事、映像、音楽プログラムなどに特に不満はありませんでした。
ベルリンに着いたら、まず再生可能エネルギー機関を取材。
今回は急遽ドイツ取材が決まったため、ドイツ在住のコーディネーターやジャーナリストの方々は軒並みすでにスケジュールが埋まっていて、フランスのコーディネーターさんに、ドイツ語がしゃべれるオーストリアのカメラマンという急ごしらえのクルーで撮影にのぞみました。
再生可能エネルギー機関の広報担当、梶村様には取材先を紹介してくださったり、通訳してくださったり、本当にお世話になりました。
さて、その撮影に入ろうとする最初に、HDカムのカメラのEJECTが、途中までしか開かないという信じられないトラブルが発生。テープが入れられない・・・。
その場は何とか私がバックアップで持って行っていたカメラでしのぎ、すぐに撮影機材プロダクションを探して、別の撮影に使われる予定になっていた機材を貸してもらうことになりました。どうなることかと・・・。
再生可能エネルギー機関では、フィリップ・フォーラー代表に脱原発や再生可能エネルギーの普及などについての事情、流れを伺いました。
OAではその内、わずかしかご紹介できませんでしたが、
・固定価格買取制度の賦課金などにより電気代は上昇したものの、今年に入って初めて賦課金が下がり、全体の電気料金も下がっている。
・再生可能エネルギー法は大成功で、何百万という中小規模の事業者、個人や中小企業の事業者が再生可能エネルギーに投資して参入することができた。固定価格買取制度は個人レベルの規模向けに縮小されるものの、大規模なプロジェクト用に、入札制など、コストを抑えながら普及を進めていく取り組みが始まっている。
ただ、入札制や独自で電力市場で電気を売るというのは中小規模の事業者にはハードルが高いため、大企業や大口の投資者ばかりが有利になるのではないかという懸念がある。
・ドイツの大手電力会社のエーオンが再生可能エネルギーを本社に残し、原子力や火力部門を分社化したのは、これから再生可能エネルギーに力を入れていくという意味と同時に、いずれ原子力の廃炉コストや放射性廃棄物の処理コストを社会に転嫁してしまおうという魂胆ではないかと疑う見方もある。
・原子力が停止していっても、これまでもその減少分以上に再生可能エネルギーが伸びてきているので、今後もそれで問題が発生するとは考えていない。
・2050年に再生可能エネルギー80%という目標は十分達成可能である。有名な学者や研究者も計算して、実現できるという結論に達している。
・日本へのメッセージはシンプルで、再生可能エネルギーの導入と産業立国としての成功は矛盾しない。それどころか、再生可能エネルギーを導入して、危険な電力源、環境に悪い電力源を破棄することで、長期的にも持続可能なエネルギーを供給することができるので、産業立国としても得をすることになる。
といった内容でした。
最後の発言は、この数日後に来日したメルケル首相の発言と重なります。
日本では、何かうがった見方をしたがる人達がいますが、基本的にはこの代表と同様シンプルなメッセージなんだろうと思います。
もちろん、ドイツが得意な風力発電やバイオマス発電の機器が売れると良いという思いもあるでしょうけど。
この後、たまたまベルリンに来ていた、再生可能エネルギーの普及に積極的なライン・フンスリュック郡のベルトラム・フレック郡長にインタビュー。
・まずは省エネに取り組んだ。再生可能エネルギーは、地域の経済効果が非常に大きい。機器や設置に伴う産業、商業、そして自治体の財政も助かった。
・自治体は市民の手本として率先して行うことが大事。地域で発生する剪定くずや街路樹で発生する木くずなどを熱源にして35か所の学校の校舎が集まったスクールセンターに熱供給をした。
・郡の中にある5万8000戸の建物すべての屋根について、太陽光発電に適しているか数値化してインターネットで提供(ポップアップ画面の一番下のボタンを押して、一番下の行をチェックして右下のボタンを押すと入れます)した。
・郡の7つの自治体連合で、自治体所有の公共の土地に300基の風力発電を誘致した。その賃借料が自治体に入ってくる。そうした事で軍全体で、今、電力需要の177%の電気を再生可能エネルギーで作っている。
・固定価格買取制度は非常に役立った。やはり法的根拠が必要で、固定価格で買い取ってくれることと、優先接続権、必ず優先的に再生可能エネルギーを買い取ってくれること、その二つが非常に大きかった。
・以前は年間2億9000万ユーロが化石燃料を郡内に輸入するために流出していた。そうしたお金がアラブやロシアに行くのではなく、郡内にとどめられることで自治体が豊かになり、学校を作ったりすることもできる。
・こうした自治体が増えれば増えるほどドイツはエネルギー安全保障の上で独立することができる。
・昔、太陽光を始めた頃は固定価格の買取金額が1キロワット時あたり50セントほどだったものの、今は15セントほどに下がっている。風力も昔は高かったが、今は7セントまで下がっている。長期的には国民のためにも、住民達のためにも、発電コスト、エネルギーコストを抑えることにつながる。
・過去15年間で再エネに対する郡内の投資は10億ユーロにものぼった。そしてそのうち、地域の工務店や電気店などに依頼された仕事の量が1億ユーロにものぼっている。さらに売電収入、土地の賃借料、税金などで年間およそ3700万ユーロが郡内の自治体に入っている。雇用も少なくとも数百人分は生まれているだろう。
・自治体所有の土地に風力発電機を置くことを許可することで、賃借料だけで年間2万から5万ユーロ位入ってくる。そうした中から、高齢者が週に3、4回、近所に足を伸ばせるように市民用のバスを持ったり、高齢者福祉施設、グループホームを作ったりということもできている。
・個人的にはもう少し、地域の中で住民参加のエネルギー協同組合を増やして欲しかったと思っている。特に風力の場合、一番利益を持っていくのが、風力発電施設を運営している会社なので、そうしたものが協同組合という形でもっと実現できていればもう少し望ましい形になったと思う。
・郡はこれから10年、20年スパンでやって行くべき気候保全コンセプトを作っていて、そこには92の施策が入っている。つまり策は尽きないということ。
・色んなイベントを打って、情報提供することも大事。例えば、郡の中で誰が一番古い冷蔵庫を持っているかというコンテストをやった。すると1950年代の冷蔵庫が出てきた。それは年間の電気代が110ユーロだったが、今は新しいものに取り替えることで30ユーロになっている。
・最後に一言。15年前に、郡内の電力を100%再エネでまかなえると言われたら、私は信じなかったかもしれない。しかし、今は実際に177%になっている。ですから、ネルソン・マンデラの言葉で締めたい。「物事は成し遂げられるまでは常に不可能に思えるものだ」。
さらに、放送では結局紹介できなかった、ライン・フンスリュック郡を含むラインラント・プファルツ州の副知事兼経済エネルギー大臣のエベリン・レムケ氏にもインタビュー。氏は緑の党の主要メンバーでもあります。
・ラインラント・プファルツ州として2030年までに電力需要の100%を計算上、再生可能エネルギーでカバーするという目標を立てている。
・手続きなどで風力発電の設置を進めやすい施策をしたり、自治体や郡により多くの権限を与えるなどしている。
・昔の大手電力4社ではない、発電を事業としている業者が州内に7万もある。この動きは福島の原発事故以降加速している。
・風力発電を景観などの面で快く思わない人もいるが、石油やガスのようにそれを巡って戦争が起きたりはしない。非常に平和な電力である。
・古いエネルギー業界、石炭火力や原子力の業界と、再エネ業界が、シェアを巡って戦っている。昨年の再エネ法改定の場合は古い電力のロビーが勝利を収めたと言っていいと思う。
・EUの枠の中でも足並みをそろえる必要がある。EUは、今現在でも1億ユーロを原子力の助成に回そうとしているが、私たちは良く思っていない。
ここまでで到着初日の取材は終了。日本時間の明け方まで続いた仕事にヘトヘトになりました。
7日はまずベルリン市内で街頭インタビュー。
ドイツらしい場面も撮る必要があるのでブランデンブルク門前で。
ちゃんと行った証拠に番組ロゴ入りジャンパーを着ての取材です。
電気代の上昇は皆実感していました。
しかし、2022年の脱原発は、その年までにできるという人が半分、残りは、それより遅れるかもしれないけれどできるという人で、聞いた人達はみんないずれは脱原発できるという考えでした。
その後、ドイツで初めて自前の配電・配熱網を持っているという意味でも100%再エネで自立したというフェルトハイム村を取材。
セルテルコフ太陽光発電所。
ここはロシア軍の施設があった場所。今は太陽の動きを追う、追尾型の太陽光発電装置が284基あり、最大2300キロワットの電力を生み出している。
風車は本当にあちらこちらに、まとまって立っています。
8日にはライン・フンスリュック郡へ。
キルヒベルク市の、郡のゴミの埋立が終わって10年間放置されてきた跡地につくられた太陽光発電施設。
メガソーラー越しの大量の風車という光景は見応えあり。
次の学校の撮影では屋根の太陽電池が良く撮れるようにクレーンを用意してあると聞いて、どういう意味だろうと思ったら、なんと消防はしご車でした。
郡の消防署で、郡のPRになるからと協力してくれたそうです。
私も乗せてもらいました。
カステルライン市のこの学校は屋根の太陽電池で電力は100%以上発電し、バイオマスボイラーによる熱で暖房もまかなっているので、実質的にCO2ゼロという意味でゼロエミッション学校と呼ばれています。
そして世界最大、一基で7580キロワットの風力発電基が林立するエラーン村へ。
丁度夕景となり、美しい光景が広がりました。
9日はグラーフェンルハインフェルト原発の外観撮影。
本当はエーオンに取材を依頼したのですが、対応してもらえず、イメージカット用です。
セキュリティが飛んでくるかもしれないと警戒し、短時間で立ち去ったので写真は撮る暇なし。
原発に近いシュヴァインフルトで追加の街頭インタビュー。
ベルリンと何か違いが出るかと思いましたが、大差ありませんでした。
ドイツだけ脱原発をしても、周辺もやらないと意味がないという人が多く、「ドイツを見習え!」というのはもちろん今回の日本だけでなく、周辺の国にも言っているわけですね。
その日の夜に、前日に取ったチケットで出発。
フランクフルトから北京で乗り継ぎ。往きは飛行機から出られなかったので知りませんでしたが、北京空港は乗り継ぎでも普通に乗るのと同レベルの手荷物検査をするんですね。しかも人は多いし、疲れました。
あと帰りはエア・チャイナだったんですが、航空機モードにしてもスマホは電源を入れるなと言われました。
せっかく、スマホに音だけ入れて、インタビューの書き起こしをしようと思っていたのにできませんでした。
できるだけ北京の乗り継ぎとエア・チャイナは避けることにします。
ということで駆け足の5泊6日、うち機中2泊のドイツ取材でした。
ちなみに、この番組は討論番組で、VTRは材料を提供する役割ですから短く、Qカット(CM前)と本編合わせて3分ちょっとでした。